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まえがき

 同窓会の沿革について調べてみると、戦前のことについては、非常に資料が
少なく、昭和十四年発行の名簿に、会則と委員名が掲載されている程度で、
会長が校長、副会長が教務主任と常任委員より1名を互選することになっている。
その同じ年の五月七日開催の同窓会臨時総会で、創立四十周年記念事業が議決され、
修練道場建設やその敷地及び隣接の植林地購入やプール建設のため募金活動の実施
が決定されている。
 それから十年たった戦後昭和二十四年、創立五十周年の記念式典と戦後復旧事業
竣工式の挙行に際し、山下忠校長の意向により、会長に星廉平氏が推挙され、ほぼ
現在のような組織となり、会則は昭和二十五年の名簿に示されているが、この名簿
には役員名が記載されていない。
 創立五十五周年記念行事を実施するに当たり発行された昭和二十九年発行の名簿
には、会長星廉平、副会長中目喜八郎、伊澤平勝、監事山田二郎、金子太郎、
後藤敏道と記されている。特に同窓会活動の活性化につくされた後藤敏道氏の果た
された役割は大きい。昭和三十年七月には、五十五周年の記念事業として北陵会館
が完成した。
 昭和三十五年には同窓会の態勢も更に整備され、同年五月に行われた創立六十
周年記念事業は、星廉平実行委員長の他、各同窓会副会長及び澁谷三郎父母教師
会長を副委員長として実行された。この事業は戦災により痛んだ校舎の改修や
南校地の取得等非常に大きな事業で、同窓会の全面協力によるところが多かった。
この時期には、同窓会総会は五月一日創立記念日の運動会当日、昼休みに、会員
の集会を催し、総会としていたが、組織が次第に大きくなったので、新しく総会の
形を整える事となり、校内幹事の主任富岡先生の努力もあり昭和四十年以降は、
現状の七月第一土曜日開催と決定された。又四十三年総会より会報を発行する事と
なり、ほぼ現在の運営に近い姿となった。
 昭和四十四年十一月一日には、創立七十周年記念事業として、金子太郎同窓会長
他同窓会一同の尽力により、校舎前の蔵王遭難記念像「鎮魂」の寄贈及び除幕の
式が挙行された。又この時期には、同窓会活動の基礎となる、同窓会名簿の整備に
取り組んでいる。
 昭和五十年には創立七十五周年を記念して在京同窓会再建準備委員会が発足し、
安藤太郎準備委員長のもと、十一月二十日、ホテルオークラ「曙の間」において、
再建総会が三百有余名参加のもと盛大に開催された。
 昭和五十三年七月一日の総会において、来るべき創立八十周年記念事業や、校舎
改築の大事業に備え、若手副会長の起用が提案され、会長金子太郎、副会長澁谷三郎、
堀田康哉、藤原佐一郎、石井敏夫、菅野栄之進の人事が議決された。
 昭和五十五年十一月十二日には、八十周年記念式典が盛大に挙行され、席上来賓の
山本県知事よりかねて念願の校舎新築に関し、「伝統ある仙台二高のまなびやに
ふさわしい新校舎を建築する事をお約束する。」との力強いご挨拶をいただいた。
翌五十六年八月には、「懐かしの校舎よさようなら、フェスティバル・イン・仙台
二高」のイベントを同窓会主催で実施し、校舎改築のプレイベントとして内外の
注目をあびた。その後高橋清久校長の「校舎建築に関する三原則」に則る見事な
新校舎が建設された。
 昭和五十七年七月の総会において、会長堀田康哉、副会長藤原佐一郎、石井敏夫、
菅野栄之進の態勢となった。その後、堀田会長指導のもと、新校舎が落成し、
平成二年十月二十五日には九十周年記念式典及び祝賀会が盛大に挙行された。
 その後創立百周年の記念事業達成に向け、平成三年より、千葉哲雄、高橋正道、
田中光彦の三副会長を加えた六副会長制となり、平成七年には佐藤裕、松永行康
(三浦哲郎亡)、大友一郎の三副会長に加え、平成九年より事務局体制強化のため
経理及び事務局担当として星卓次副会長を迎える事となり、百周年記念事業実施の
ため同窓会をあげ全力を尽くす事となった。



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