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(2000.3/20作成)
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宇宙原理と宇宙の自然誌
高3回 竹内 峯
 先日、ちょっと読みたいところがあって、トムソンとテイトの「自然哲学教程」と
いう本を眺めていた。初版は千八百七十九年というのであるから、かなり年代もので
ある。大事なことが丁寧に書いてある力学の教科書で、今でも学生向けに版を重ねて
いる。この本の序文に、ナチュラルフィロソフィー(自然哲学)とナチュラルヒスト
リー(自然誌あるいは自然史)についての説明があった。曰、自然哲学とは、物質世
界の法則と直接には観察し難い結果の導出を意味し、自然誌とは、それに先行する、
現象の観察、分類、記載であると。そう言えばヒストリーという言葉の意味は、書き
記すということであった。
 日本では、どうも、哲学という言葉は文学部のもので、理学部にこれが現れると何
となく、うさん臭いような感じで受け取られるが、イギリスあたりでは、大学院修了
のしるしがフィロソフィカルドクター(PH.D)と言っている位で、理科の者でも
哲学という言葉に動じないらしい。
 宇宙の研究をしようとなると、自然哲学に先立つ自然誌が、何とも心もとない。ま
ずは、比較的近距離いある恒星の性質などを調べているうちは、無難であるが、宇宙
全体の構造などについて、何か言ってみようとすると、そもそも、宇宙の全体などま
ったく見えていないのである。自然誌が宇宙の一部分に留っているのに、哲学の方で
宇宙の全体を取り扱おうとすれば、何か原理を立てなければならない。そこで、「宇
宙は何処も同じで、特別な場所などない」という原理を据えるのが普通である。これ
を、天文学では、宇宙原理と呼んでいる。
 宇宙は何処も同じと見てよいか?これは、本当はかなり問題である。外国が全て我が
が国と同じであると決めてしまえば、外国旅行の必要はなくなる。したがって、宇宙
原理は、宇宙の全体的構造が、研究する以前に知られているような感じを与えないで
もない。とはいえ、事前に何も特別な柱を立てないで、何か新しいことが発見される
というような話は、聞いたことがない。宇宙原理を前提とすることは、宇宙全体の自
然誌を予め作れない以上、必然である。
 多くの現実的(あるいは、夢のない)天文学者は、宇宙全体の構造を研究しようと
はしない。もっと、狭い部分に目を向け、天体について、そうした自然誌を豊かにし
ようと努力しているだけである。そして、概して、そうした自然誌の発展が、宇宙の
構造についての知識を着実に増やしてきたように思う。遠方の星雲が高速で遠ざかっ
ているという現象、空間を満たしている零下二百七十度相当の電波の存在、これらの
今日の宇宙論の基礎となっている事実は、無心に宇宙の現象を観察、記載するなかで
生じたように思う。
 東北大学の天文学研究も、最新の道具を使って虚心に空を見ることに、重点を置き
たいものである。たいした金ではない。一億か二億でよいのだが。
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