欣チャンを囲んで二十年 | |
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高4回 小森 芳明 |
高校四回期三年A組の組担任は、上田欣弥先生であった。当時若手の英語教師とし
て、歯切れの良い講義と、黒板の左下から右上りのライテングを御記憶の方も多いと 思う。悪童連の多かったクラスでよく叱られたが、或る時、全員揃って記念撮影の機 会があり、その出来映えがどうした訳か縦横のバランスがひどく崩れた写真で、特に 中央に座った先生の顔(普段でも決して丸顔とは申せぬが)が、異常な馬づらとなる 始末。こんな写真では、とても代金は払えぬとクラスの連中が騒ぎ出した。これを煽 動したと云う事で職員室に呼ばれ大分油を絞られた想い出があるが、先生自身も内心 では、あの馬づら写真には、いささか御不満だったのではなかろうか。この恩師を囲 んで気の合った仲間の飲み会が、昭和三十八年以来途切れる事なく続いている。 最初は仙台在住の三、四人が先生を誘って飯坂温泉に繰り出したのが発端。その後 東京勢も加わり、毎年八月下旬に温泉で一泊と云うバターンである。大体、仙台 − 東京の中間点と云う事で那須、塩原や福島県内の温泉地を会場とした。東京勢が幹事 の時に伊豆は遠出した事もあったが、新幹線も無い頃であり、これは仙台勢から苦情 がつき、最近は専ら飯坂温泉の藤本旅館に定着している。場所を変えたところで、観 光や史跡巡りをする訳ではなく、ただひたすら飲み、且つ、駄弁る丈と云う、甚だ愚 鈍明快な集まりである。発足以来、メンバーの入れ替りも多少あったが、現在は先生 を加えて丁度十名(東京二名)。二十有余年、よくもまあ続いたものと感心する。 発足当時は下度結婚して子供が出来た頃。お互い安月給の身でありながら芸者をあ げての年に一度の豪遊、空になった銚子の数の記録更新やら、芸者の「お代り」をし た悪童連も、最近はめっきり酒量も落ち、話題もやれ血圧がどうの、糖尿がどうのと 淋しい限り。息子の就職やら娘の縁談やらとお互いに悩める実年。早々と寝床にもぐ り込む者が増えて来たのも事実だ。既にお祖父様になったのが、山下裕(山下校長子 息、県教育庁)。橋本達雄(不動産鑑定士)もそろそろ仲間入りの予定。 (以後編集中) |
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