かけがいのない
同窓の人脈 | |
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高3回 橋本 保雄 |
私ほど、在学期間中、学校に迷惑をかけたものはいないだろうし、又母校の有難さ
を身に沁みて感じている者も少ないと思う。仕事がら不特定多数の人々と接するとは いえ、話題中に仙台のことが出てくると必ず学校はと言うことになる。二中、二高 (旧より新に移り変わるときにいた)の名前を思い出すと必ず誰々さんも、あの人も と、とたんに相手が身近な人になってしまう。十数年前に故阿部睦奥雄大先輩(中 28回)にお会いしてから復活、在京二中、二高同窓会の事務局をやれと命令され、 爾来、同窓の皆々様との交流も深まり仕事の場でも橋本は偉大なる仙台二高の卒業生 だと(やっと卒業させてもらったのだが)同僚達が話題にしてくれている。 二中二高が基で一中一高、仙台高、学院高、育英高、東北高強いては野球・ハンドボ ール・柔道・ラグビーでライバル校であった石巻・気仙沼・小牛田・白石等々の学校 の卒業生も遂々身内の様な交際をしてしまう。只、仙台出身であることよりも仙台二 中・二高出身であることの方が価値が高いと言う事が、時がたてばたつ程、大きなも のになって来る。金銭をたくさん持っているよりも、母校を中心にした先輩、後輩の 人脈の重みは、比較にならぬ程大切であり、また社会的影響力がある事を身をもって 体験している日々である。 さて、話が変わるが、過去私は東北人特有の大変消極的な人間だった。しかし人と接 することは大好きであり、人が喜んでくれる様な仕掛けをすることも得意の方ではあ った。31年前に入った我々の業界(ホテル)は、当時全く社会的レベルも低く、働 いている者達は、モノ真似は大変上手だが自分で何かを創造し、お客を喜ばせるよう なことは不得意の連中が多かった。新しい事を学ぼうとする積極性もなく、日々流れ に乗って時をすごすような有様だった。二中・二高時代、あれこれ悪さをし、毛タマ ゴにひっぱたかれ、木村バネさんに脅かされ、田渕校長にいびられていた私でも ”三つ児の魂百まで”でもないが、こんな世界ではどうしようもないと感じたもので ある。そこで奮起一番、今流で表現されるSHY(コンサイス訳・内気の、はにかん だ、おくびょうな、びくびくした等)の反対動作に積極的に挑戦しようと思い立ち、 今日迄続ける事が出来、今では業界の後輩達にサービス業に従事するものの大切な 心得として、折につけ説いている。これも前記の先生方の恩恵であると信じている。 総論賛成、各論反対、不実行、結局何も出来ず進歩なしではなく、広く会議を興し 萬機公論に決っしたことは、上下心を一にして盛んに経綸を行い、全ての人達とその 志を一つとして旧来の丙習を破り、天地の公道に基き知識を世界に求め大いに自身を 振起するべく(五ケ条の御誓文より)日々を過させて貰えるのも二中の質実剛健の 教えの賜であり、ありがたい事である。同窓の仲間は素晴しい。それも”悪ガキ連中” は超がつく。在京同窓会総会を秋に控え、各担当幹事、役員諸氏と気持も新に結束を 計らなければ・・・・・。 |
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