HOME / 同窓会 / リンク / 改訂記録

(2000.3/28作成)
大きな写真になります



世界平和を唱題撃鼓しながら
ナイジェリア人になった川名英一先輩
高1回 首藤 正
 私には大変我慢ならないのだが、ゴルフと野球とマージャンとそれにカラオケ、 
それらに明け暮れる日本は、何と平和で幸福な国であろうか、と思わずにいられな
ち。その日本に見切りをつけてアフリカ人になった日本僧がいる。「見切りをつけ
て」は、私の言い過ぎかも知れないが、ナイジェリアに帰化し、そこを永住の国と
定めて今春五月成田を飛び立った、川名英一上人がその人である。
 川名さんは、旧制仙台二中昭和二十二年卒業の四十八回生である。私の一年先輩
に当る。在校中は、柔道部の猛者として内外に聞こえ、喧嘩も滅法強くて、我々に
はこわい存在だった。社会人になるや、ウエイトリフティングの選手として国体に
出場したこともある。その後腕を痛めてから協会の役員になり、東京オリンピック
に優勝した三宅正一選手を育て上げている。
 昭和五十年在京同窓会が再生して発足以来常任幹事として献身的に奉仕されていた
先輩を、同じ幹事として知ることになった私は、度々酒席におつき合いしたが、豪快
に飲み且つ遊んだ人である。とても私など太刀打ち出来る相手ではなかった。こんな
ことがあったのを覚えている。
 在京同窓会の最初の名簿を作っていた昭和五十三年頃、当時事務局で精力的に活躍
されていた恩師の鈴木達雄先生(生物の通称”タッツァン”)宅で先輩と二人で名簿
整理を手伝ったことがある。まだ寒い頃だった。先生は高血圧を気にしビールだった
が、二人は日本酒。余りピッチが早いので、お燗が間に合わないと思われてか、先生
が「これ、飲むか?」と出されたのが、「ナポレオン」である。恐縮しながらも、二
人で忽ち空にしてしまった。それでも、先輩は物足りなさそうだった。
 そんな川名さんが、その後会報に「快男児出家す」と報じられ、驚いた。日本山妙
法寺の開祖・故藤井日達上人にお会いした時、その数日前、夢枕に現れた仏様その人
だったのに感動し、帰依したのだと云う。当時日本生命の要職にあったが、名誉ある
地位と財産と幸福な家庭を捨てて仏門にはいるには、並大抵ではない苦悩もあったろ
うと思われる。
 以来、うちわ太鼓を打ちながら、各地で世界平和を訴え続けている。六年前故日達
上人から「アフリカに骨を埋めなさい」と云われて彼の地に渡り、布教修行をしてい
たが、昨年その師の言葉の真意を知り、帰化する決意をしたのだった。どの宗教もす
っかり堕落し切り、金集めに狂奔している現今、寺院も寺領も檀家も持たず、托鉢に
よって食を得ながら、唱題撃鼓し仏舎利塔建立を目ざして仏の道を説くこの活動こそ、
真の宗教というべきではなかろうか。そして、このように立派な先輩を持ったことを、
私は大いに誇りに思う。
 先日、川名上人から一通のエア・メールを受け取った。五月十日成田を発ち機上の
の人ちなった時、故国を後にした万感の思いが胸にこみ上げ、泪がとめどなく流れた
と云う。察するに余りある。ロンドンで下賜された仏舎利を胸に奉持し、六月二日ナ
イジェリア入りした上人は、今アフリカに初めての仏舎利塔を建立すべく奔走してい
る。知遇を得ているオルグセン・オバサンジョ・元国家元首から既に昨年、建設許可
を受けているそうだ。
 上人の便りは更に、ナイジェリアは今、どんな技術でもいいから、行動的で勇気あ
る技術者を求めている、と訴える。同窓諸兄の理解ある協力と奮起を、上人に代り心
からお願いしたい。同時に又、上人のように勇気ある日本人のいることを、一人でも
多くの人に知ってほしいのである。
ご感想の掲示板です。(BBS)
メールの場合はkikuta@sm.rim.or.jp

[ 同窓会に戻る / 仙台二中・二高北陵会に戻る ]