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(2000.3/19作成)
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教師の一言
中44回 西沢 潤一
どう考えて見ても模範生とは言い難い中学時代を送り、開き直りで只々坦々とやる
しかないと云う気持で働いて、今日になった。全くあっと云う間の人生である。何の
感興すら湧かないぐらいに坦々とした道だった。世の人が注目しようとしまいと同じ
様に歩いたことだろう。
しかし振り返って見ると、期待された多くの俊秀たちは早逝してしまった。私のよ
うな愚物にも出番が廻って来たようである。どうも確率論のような気さえして来る。
しかし、その中で、二三の先生方が与えられた精神的な糧というものは、やはり私の
人生についても決定的な影響を与えて下さったと思う。
小学校時代の先生方は、とうとう全部お亡くなりになり、隣の組を御担当の富澤清
と云われる先生只一人お元気と云うことになってしまった。中学では三、四年御担当
の福永和利先生の他、北村泰一・貝原友次郎・鈴木達男などの諸先生がお元気で、若
い情熱を教育に打ち込まれた児玉先生もお元気と伺う。私はこれらの諸先生は勿論で
あるが、代数を教えられた勝浦捨造先生や、物理の水木徳先生に、数学や物理を将来
の専攻にしたいという気持をもつぐらいに興味を持たされた。
これは、やはり、割りと良い点をとるから先生の方も引き立てて下さる。するとま
すます面白くなるということによるものだろうが、特に、一寸程度の高いところまで
話をしていただいたのが大変大きな影響を与えたと思っている。中学校で教えるとこ
ろだけでは物理学は終わっているんではないだと分からないなりに思うことが出来た。
インフェルトの物理学は如何にして作られたとか、ガモフの不思議の国のトムキン
ス、ホグベンだったと思うが、百万人の数学と百万人の物理学と云うのがあって、こ
んな本を教えていただいた通り、高校に入るとすぐ買って読んだものである。北村泰
一先生がやはり数学について、若干、そう云ったお話をして下さったことも大きかっ
たと思っている。水木先生は阿波丸に乗って撃沈され亡くなられたと記憶しているが、
そのとき生まれたばかりだった息子さんはどうされたか、奥様はどうされたかも気に
なることである。
北村先生が或る日、ノーベル賞の話をされて、「このうちから一人位貰ってくれん
かね。そして、それが北村先生の話を聞いて努力したんだと云うことになってくれれ
ば、猶、いいんだがね」と仰言ったことも微笑ましく思い出す。
ハワイ大学教授の名取教授にそそのかされて、種牡馬って何ですかと佐々木先生に
伺ったお調子者だったが、道が矛盾したときはどうしますかと矢内先生に伺って褒め
られた。東洋道徳の要であり、それを中庸と云うとのことだった。こんなことを、自
分の教師稼業に結びつけて考える昨今であるが、フト云った教師の一言が生徒の心に
火をつけることがあるようだ。
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