『進乎齋(しんこさい)』を調べてみると、次のようなことがわかりました。
講道館の創始者である嘉納治五郎ではないかということがわかりました。
嘉納治五郎という人は書家としても一流を究められた人で、雄渾闊達の書風に揮毫の依頼はひきもきらず、
その書額は今も全国に残されています。
用いた書号(雅号)は三種類で、60歳までは「甲南」、60代は「進乎齋(しんこさい)」、
70代は「歸一齋(きいちさい」と断定するのは横山氏で、このうち「歸一齋」については、
一度、20代の時に用いられてその後は用いられなかった、と注釈があります。
→参照
又『擇道(たくどう)』については
「擇道竭力(タクドウケツリョク:道ヲエラビテ力ヲツクス)」
からきているのではと推測できます。
→参照
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