在京同窓会の青山史朗氏から「新校舎の落成を記念して、百万円程度の寄贈をしたいから、
なにか考えてほしい。」とのお話をいただいたのは、たしか五十九年のはじめであったと思う。
私は全体の同窓会から壁画を頂戴したときもそうであったが、「学校の必需品は、予算をや
りくりしてでも必ず買うものであり、また一般備品は、こわれたり旧式になたりしえそう永くは使
えない。五、六十年に一回しかない校舎改築の記念の品は、普段、仲々買えないもの、少し贅
沢であっても永く残るものを」という考えをもっていた。一方、二高には、その伝統を物語る名木
は、他からうらやましがられる程沢山あるものの、日本庭園に欠くことのできない名石が、全くと
いってよいほどないことが気になっていた。
そこで「石をいただきたい」と申し上げたところ、「それは面白い。その石には、「大盤石という
銘をつけよう」というお話をいただいた。
五十九年五月上旬、ガーデン二賀地社長の田中秀穂氏(高十二回卒)の案内で、福島県いわ
き市へでかけた。いわき市の郊外には、鮫川という川が流れ、鮫川石という、日本屈指の名石を
産している。
最初、現地の石屋の主人が薦める肌の実に美しい石があったが、「大盤石」の名にふさわしい
量感がない。あれやこれやと探しているうちに、横になっている約三十屯の見事な石を見つけた。
しかし、仲々、値段の折り合いがつかない。「仲間の石屋から、二百万の値をつけられたが売ら
なかった石だから」と主人はいう。
三浦事務長の苦心の交渉の結果、銘板作製の費用を含めて、在京同窓会からは、百五十
万円のごふたんをお願いすることとなり、誠に恐縮するとともに、感謝にたえないところ
である。
いよいよ搬入設置の日、現地で見たときよりも、はるかに立派である。大型のクレーン
車によって釣り上げ、玄関前のロータリーへ仮に置いて見て驚いた。石の迫力におされ
河合校長の銅像の影がすっかり薄くなっている。大変なことになってしまったという思い
が一瞬、頭をかすめた。
しばらく全体を眺め続けた後、石の向きを正面から、少しずらしてみた。すると不思議
なことに、銅像が浮き立って来たのである。実に面白い配置の妙を知ることができたので
ある。
さて、「大盤石」の銘板であるが、最初、青山氏と山田俊雄氏(中四十回卒・成城大学
教授)が苦心の末、中国、宋時代の廬山記」の宋板本の原書から選んで原版を作製して送
っていただいた。私も、大変面白く思い、喜んでおったのであるが、その原版を念のため
石の所へ置いて見ると、どうしても調和がとれない。石に、あまりにも力強さと迫力があ
り、字が負けてしまうのである。歴史的にも、非常に貴重な字ではあるが、木版からとっ
たと思われるいわば活字であり、生気がないのである。
そこで、折角のご苦労を承知の上で、実状を青山氏に伝え、「生きた人の手になる書を」
とお願いした。青山氏は、実状を快くご理解の上、安藤太郎名誉会長の 揮亳による「大
盤石」の書をお送りいただいた。三十屯の大石の迫力を充分に受けとめる名筆であった。
時折、本校と関係のない、通りすがりの方が、校門から入って来て、しげしげと大盤石
を眺めておられる姿がみられる昨今である。
昭和三年、旧川内の校舎新築の折に、河合校長が「この校舎は、千年ももつ永久校舎で
ある」と自慢されたときくが、大盤石は、千年はおろか、何千年もの間、仙台二高に学ぶ
若人をはげまし、その歴史を語りつづけてくれるものと信じ、在京同窓会の各位に心から
御礼申し上げるものである。
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