戦争記念碑 | |
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中40回 佐久間博信 |
昭和十四年、戦時色の濃い二中から陸士、そして軍人として中国、南方と転戦。
私の青春は戦争の中で過された。 ニューギニアに転進の際、輸送船が米軍に撃沈され、南十字星を仰ぎつつ、セレベス海を 十一時間半も泳ぎ、九死に一生を得た。 此の遭難の為、赴任先のビアク島に行けなくなったが、此の島は十九年七月玉砕全滅した。 私はその後、食糧不足、熱帯の病気にも耐え、再三の戦闘にも生き残り祖国へ帰還した。 二中の軍人組も半数は戦死。生き残った者として此の大戦を永久に後世に伝える為、 また戦没者の霊を慰める為、仙台に記念碑の建立が夢である。 |
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