あの頃の甲子園 | |
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高2回 中林 昭太郎 |
我々高二回卒の誇りは、何たって甲子園で準々決勝まで鉾先を進めたことだ。
ダバさんが野球部長で、ダバさんの息子(と言っても今は世をときめく県会議員殿だが)が 応援団長だ随分皆、張り切っていたものだった。 米がないのでクラスでカンパし、クラスメートの誰かは甲子園まで駆けつけるフィーバー振り。 その頃、一高なんて目じゃなかったネ。 この俺様が応援に行って負けた試合の記憶がないのは仕合わせだったネ。 評定河原にこだまする二高応援団の凱歌が今も耳に残っている。 残照に黒い影を残す青葉山が今も目にやきついている。 |
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