二高近くに住いして | |
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高6回 伊勢 民夫 |
仙台二高の澱橋通りに居を得て、あと数ヶ月すると四半世紀を経ることになる。早いものだ。
応援団入団後、数日は新入生は校庭に一団をつくり、校歌や応援団歌をたたき込まれる。 出勤の折みかける校庭に腰を下ろしたその姿はまだ中学生のものだ。われらが入学した 昭和二十九年当時、先輩を畏敬した感情が今の学生諸君にも残されているものだろうか。 一高戦をひかえてのしごきは決して少なくなかったことと思う。 そして桜。杉の木立の何本かは倒れて伐採されたが、桜木はいまだに健在。 桜木を前景とする一献はまた格別で、庭にまで桜花弁が飛んでくる。 八月、夏期休暇に入ると北陵会館は合宿で急に活気づく。朝六時ランニングのかけ声 で眠りを絶たれる。深夜族の小生にはせめて表通りに出てから声を出してほしいと思う。 (近くにある先輩の最小限の願い?) バドミントン部に籍を置きながら、北陵会館を使いこなせなかったひがみは決してない。 九月の北陵祭は楽しい。子供たちも何度かはおばけ屋敷や吹奏楽、ギタークラブの 発表会をみている。そして十月の運動会。この日だけはいくらマイクががなりたてようと 家人は文句をいわない。晴れてくれればとの切ない願いだけだ。 そして社会人。親父と息子が北陵健児の鎖を固める時期に来ていると思う感慨一しきり 思うこの頃である。 |
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